村上健一さん①

初めまして。いろぷろじぇくとのイエローです。

取材の記事を担当することになりました。 記念すべき?第一回は村上健一さん。

2012年7月30日に取材させていただきました。

村上健一さんは先天性多発性関節拘縮症という病気で手足の関節が動きません。

口を使って文字を書いたり機械の操作をします。

電話もパソコンも操作できます。

トイレや食事は介助を要し、車いすで生活しています。

とても明るく前向きな方で 町田市の福祉事業所である「ひまつぶし」でほかのスタッフと同等に働いています。

また、10年ほど前から一人暮らしをされているそうです。

村上さんってどんな人なのか

いろいろ聞いてみたいことがたくさんあって、 とてもたくさんの質問をしてしまったのですが、

ひとつひとつフランクに丁寧に答えて くださいました。

取材時間は2時間近くに及び、イエローのメモは7ページにもなりました。 生き方の参考になる話も盛りだくさん。

イエローはたくさん元気をもらって帰ってきました。

みなさんにも勇気と元気をお届けできる内容になったらいいなと思っています。 何回かに分けてアップしますので 続きも お楽しみにしてください。 では インタビュー開始です。

~最初に、簡単に村上さんのプロフィールを教えてください。

昭和51(1976)年4月30日 八王子市で生まれです。

5歳のときに町田市へ転居しました。

町田市は統合教育(障がいを持つ子どもが健常児の中で共に教育されること)が受けられると言われていたからなんだと思います。

小学校入学前には、障がい児学級(特別支援学級)を勧められたのですが、両親は普 通学級で普通のこどもと一緒に通うことを希望してたんですよね。

要倉先生 のご尽力で、介助員をつけてもらい、町田市立忠生第七小学校、町田 市立山崎中学校、都立山崎高校、すべて 普通学級に通学していました。 その後和光大学に進み卒業ししばらくしてからココで働くようになり現在に至っています。

~どんな仕事をされているんですか

仕事は パソコンを使い、事務処理(データ管理、給与計算等)担当です。

時間のある時は ひまつぶしに来る利用者さんとも思いっきり遊びます。 散歩とかおでかけに一緒に行くこともあります。

~いまの仕事についたきっかけを教えてください。

12年くらい前(2000年頃)から 「ひまつぶし」スタッフとして働いています。

当時、大学は卒業していたのですが、トイレがひとりでできなかったので、なかなか職につけ なかったんです。

「ひまつぶし」が開所するときに、話し合いの場を持つというお知らせのはがきが来たんです。そこに 要倉先生の名前があったんですよね。

僕は 覚えていなかったんですが。 母は覚えていて、参加しなさいと。

行ってみるとそこには「ひまつぶし」が事業目的とするサービスの利用対象となるであろう

障がい者の保護者、関係者なんかがいたんです。

「ひまつぶし」のスタッフが、こんなことをやりたいという説明をすると、集まった人の中からは、

「絵に描いた餅ではないか」「そんなことできるわけない」とか、否定的な意見 が多く出ていたんです。

僕は「なぜ、まだ始まってもいないことを否定的にとらえるのか」と不思議に思ったんですよね。

それで反論したところ「ひまつぶし」のスタッフに興味を持ってもらったんでしょうね。

最初のころは障がい者として意見を述べる立場で、ボランティアとして何度か会議 に参加していたんです。

「ひまつぶし」の現スタッフに送迎してもらい、交流を深める中、

「あれ、村上君、パソコン使えるんだったら広報とか作れるんじゃない?」 といわれ、

文書を書いたりすることで一緒に働けるのではないかと考えてもらえるように なったんですよね。

それで広報の作成などを任せられるようになったんです。

続く・・・

文中に出てくる「ひまつぶし」ついては 後日、別の記事で取り上げる予定です。

ということで 今日はここまでです。

次回は 村上さんの大学時代のお話しを ご紹介したいと思います。


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