岩下哲典先生

こんにちは、レッドです。
ブルーが歴史研究をしているということについては
すでにふれてきていますが
歴史通 2012年 09月号 [雑誌]でも対談をした岩下哲典先生に
12/11にお話を伺いました。

岩下先生は、
wikipediaでも紹介されていらっしゃる日本の歴史学者です。
幕末維新史が専門でブルーの尊敬する先生です。

現在、明海大学のホスピタリティ・ツーリズム学部の教授で たくさんのご著書があるのですが、 最近、高橋泥舟―高邁なる幕臣という本を出版されました。

高橋泥舟とは、幕末の三舟といわれる、幕末から明治時代初期にかけて活躍した3人の幕臣
勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の中のひとりだそうです。

勝海舟、山岡鉄舟と比べて 高橋泥舟という人物は印象が薄い気がするのですが、 幕末史の中で重要な役割を持った人物なのだそうです。
レッドは歴史には詳しくありませんが、 幕末維新史ってなんだかワクワクしますよね。
今回、岩下先生にはブルーがお話をお聞きしました。
それでは、インタビュースタートです。

明海大学のホスピタリティ・ツーリズム学部についておしえてください

学部ができたのは2005年、7年前です。
小泉内閣の時代に、 外国人観光客を1000万人誘致する計画が策定された(2003年)ことをきっかけに エアラインとかホテル、旅行業などの観光業に おもてなしの心を持った人材を育成して、送りこもうとつくりました。
一番の特徴は進級条件にTOEICを導入したことで、 500点こえないと2年生になれない、600点こえないと3年生になれないという進級条件があるんです。
TOEICを進級条件にとりいれた学部は日本ではじめてじゃないでしょうかね。
その甲斐あって、 就職内定率がだいたい95%前後あるんです。どの年代も。

~先生の学生さんはどの方も皆おもてなしの心がすばらしいですよね
毎年岩下先生のゼミでやるホテルアイビス六本木のイベントに参加すると感じます。

ありがとうございます。
最初は私の講演と食事会だけだったんです。
ロシアを学ぶ日曜講座というのが最初で、3年前のことです。
江戸時代の日露関係の講演とロシア料理の食事会をしました。
2年目はゼミの学生にも企画を手伝ってもらってお江をテーマのイベントにしました。
まず、お江に関する講演、 食事は戦国武将弁当、戦国お姫様弁当をつくりました。
学生たちにプランをださせてシェフにつくってもらったんです。
そのあと、お江関連の史跡をまわり、 将軍御座船・安宅丸に乗ってクイズ大会をしました。
全部学生にプランをたて実行してもらいました。

今年の「ジョン万次郎ものがたり」の食事の評判がとてもよかったので、


それをどこかに売り込むというのもいいと思っていて、 もう少しアレンジして、 さまざまなところに売り込むということを学生にやってもらおうかと思っています。

~おもしろいですね。

~それでは、そろそろご著書の話に移らせていただきますね。
なぜ高橋泥舟の本を書くことになったのですか。

泥舟の本を出した出版社が山岡鉄舟の本を出版していて、 勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三冊セットで販売したかったようで 書く人を探していたんだそうです。
僕が徳川慶喜の本を書いていたので、 いいんじゃないかということで話が来たんです。
資料がないので、書けないんじゃないかと思っていたんですが、 出版社の方が資料をどんどんと探してもってきてくれたんです。
それを見ると泥舟は勘定方から講武所の槍の師範になったんですが、 もともと泥舟の家は役方という行政官なんですよ。
武官じゃない。
それでも任命されたということは、槍の腕前が普通じゃなかった。
注目すべきかなと思ったんです。
「あれは大馬鹿だよ。物凄い修行を積んで槍一つで伊勢守になった男さ。あんな馬鹿は最近見かけないね」と勝海舟が言ったとされているんですが、実際にそうなんですよね。
文久3年、3月11日に二条城で伊勢守に任命されたというのは 前代未聞のことだったんです。

~高橋泥舟さんとはどんな人だったんですか。
旧幕府が鳥羽・伏見の戦いで負けて帰ってきてから、 徳川軍慶喜にひたすら恭順の実をあげることを説いた人です。
その後慶喜が上野東叡山に退去するとき、
江戸城を出てるんですね。それからさらに水戸へ下るときの護衛でしたが、 護衛のみならず政治的なアドバイザーという存在だったんではないかと思います。

~泥舟なんて名前ですが、僕はもっとどっしりかまえて、
むしろ国を支えるような強い人だったんじゃないかと思うのですが。

そうですね。
もともと、泥舟と名乗ってたわけではなく、 明治4年以降、たのまれても役職につきたくなくて
自分に乗ったら、それこそかちかち山の泥舟だぞということを言いたくて名乗ったんだと思います。
それまでは、忍齋とか伊勢とか伊勢守とか呼ばれていました。

~忍齋の忍というのが泥舟らしいですね。
子ども時代から心優しい、感受性の豊かな人物だったんですよね。

そうですね、おばけや人魂を信じていたんですよね。
この人は「至誠一貫」ということばが一番似合う人だなと思います。
慶喜は、そういう泥舟に対して「この人には嘘を付けない」「この人は信頼に足る」と思ったんじゃないですかね。
だからこそ、慶喜が行くところにすべておまもりしたんではないかと思います。
慶喜が江戸城を出たとき、かごに乗って寛永寺に行ったというイメージが強いですが
実は歩いて行ったんですよ。
そのプロデュースも泥舟なのではないかと思います。
恭順の実をあげるためにかごに乗らない方がいいとアドバイスしたのは泥舟だったんじゃないかと思います。

~なんで、この人が今まであまり知られてこなかったのか不思議ですね。

あまりしゃべらない人だったんですよね。

~魅力的な人物なのでもっと知られてもいいと思います。

そうですね。

~本当に先生の書かれたこの本、とてもおもしろかったです。
あまり知られていないことがたくさん書かれていて、勉強になりました。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

本日はありがとうございました。

再びレッドです。

岩下先生は、声のトーンやお話の仕方が優しく
幕末の時代に心地よくタイムスリップしました。

ブルーとのとても興味深い歴史議論もあったのですが、 それはまたブルーが別の記事で紹介してくれると思います。

このインタビューをまとめるにあたり
苦労した部分もありますが 幕末史の魅力に触れられてよかったです。

今年の大河ドラマは『八重の桜』
この物語の時代も幕末です。
徳川慶喜も出てきますね。
その近くに泥舟さんがいらっしゃると思いながら このドラマを観るのもいいなと思っています。

慶喜を演じるのは小泉 孝太郎さんというのも
個人的に楽しみです。


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