いろぷろピンク:ありきんさん

こんにちは、レッドです。
今日はいろぷろ戦隊ピンクのインタビューをお届けします。

ピンク(ありきん)はレッドが「いろぷじぇくと」をつくるきっかけを与えてくれた人物。

インタビュー後、ますます魅力的な人と思うようになりました。

それではインタビュースタートです。

~簡単なプロフィールをお願いします。

1987年、町田生まれ。病院でついたあだ名は「口から生まれたありきんちゃん」です。
筋力がつきにくくなる脊髄性筋萎縮症という障害があり、歩行ができないので車いすに乗っています。
字は書けますし、パソコンも使えますが、手に持てるのはコップくらいの重さのものまでなんです。

~小学校に上がるまでのことで何か記憶に残っていることはありますか。

私に障がいがあるということで、なかなか受け入れてくれる幼稚園がありませんでした。
そこで巡り合ったのがミッション系の幼稚園。キリスト教の精神で受け入れてくれました。
条件に親の同伴を提示されることもなく、他の友達と変わりなく遊ぶ毎日でしたね。

記憶に残った思い出は色々あるんですけど、障がいに絡んだものなら三輪車突き落とし事件かな。
三輪車に乗って自力で漕いでいたら、あまりの遅さに痺れを切らしたらしい男の子が「押してあげる」と言ってくれて。
嬉しかったけど、そのときの私はな~んか嫌な予感がして、断ったんです。
案の定、押したがりの男の子にものすごいスピードで押されて、勢いのまま段差から落ちたっていう。

~けがはしなかったんですか

コブくらいはできたかも。
だから断ったのにとは思いましたけど、たいした怪我ではなかったですし、愉快な思い出です。

~小学校ではどうでしたか。

親の奮闘あって、通常学級で、健常者の子たちに混じって授業を受けることができました。
ただ、クラスの皆と一緒にやりたいことがあっても、やらせてもらえないことが多々ありましたね。
子ども特有の行動、遊びは、わざわざ介助してまでさせてあげる必要がないと大人から判断されましたし、友達と連れ立つ行動も、万に一つでも何かが起きたら責任問題になるからと言い渡されました。
だから、皆と一緒にいられないのが悔しくて、いつも反抗して、先生たちと衝突していました。

なにより、身の回りをサポートするべく介助員さんがつけられていたので、学校では大人の監視なしに行動した事がないんです。
放課後も、友達と登下校したかったのですが、それすら危ないからと禁止されてしまった。
発作が起きるとかそんなことはないですし、学校が終われば友達と遊びに出掛けたりしてたんですよ。
それでも私の登下校は、親の送迎でと決められていました。

ところがあるとき、親が風邪で寝込んでしまって、ひとりで帰ってくるよう言われたんです。
これは友達と帰るチャンスじゃないですか。
親に頼らず自分の力で帰るんだって息巻いて、友達と一緒に帰る約束をしていたんですけど、それが先生に発覚してしまって。
介助員さんに自宅まで連れ帰ってもらうことに決められたんです。

当時は悪ガキだったので(笑)
友達と「介助員さんを巻こう!」と計画して、目配せを合図に縦横無尽に帰路を駆け、巻きました。
そんなことばっかりしてた。
おかげで友達はたくさんできましたが、大人には目をつけられ、親はしょっちゅう学校から呼び出されていました。

~中学はどうでしたか。

ちょうど引っ越しと進学の時期が重なり、周囲が知らない人ばかりになるということもあって、悪名高い自分をやめてまともになろうと決心しました。
親が呼び出されないことを目標に、優等生化計画です(笑)

大人しく真面目な振る舞いは先生方からは概ね好評。
一方、クラスメイトは面白味のない印象を受けたようで、この時期は友達ができませんでした。
男子たちからは挨拶のように「死ね」と言われましたし、「障がい者じゃなかったら殴ってるのにな」と隣の椅子を蹴飛ばされたこともあります。
それがなんか楽しかった。

~えっ?楽しかった?

優等生化のせいか、女子たちがあまり寄り付かず、周りに話す人もいなかったから。
いやがらせでも、会話ができて楽しかったんです。

ある日、男子に「洗ってやる」と筆を取り上げられ、水道の流し台のところに放り投げられたことがあるんですが、
「へえ、あなたが言う、洗う、っていうのは流しに落とすことなんだ。綺麗好きだね。女の子にモテるねぇ」
と、廊下中に響く声で言いました。
そしたらすぐ拾って返してくれて。
返してくれるんだ、って。
ちょっと笑っちゃうでしょう?

男子たちは翌年にはなぜか優しくなって、先に行って扉を開けてくれていたり。
変な話なんですけど。

~~すごいですね。
いじめられて学校に行くのがいやになった、、
っていう話じゃないんですね。

彼らが取り繕わない分、私も取り繕わなくていいから気楽だったんです。
いやがらせを受けているときだけは、優等生を装わずにいられます。
それに、いじめを受けるなんてドラマみたいな経験、滅多にできないですから。
自分が受ける分には良い経験でした。

~修学旅行は行きましたか
皆と一緒に京都へ行きました。
班の仲間たちがバリアフリーの場所を中心に行き先を決めてくれたので、ひとりだけ別行動になることはなかったです。
いじめっ子の男子が車いすを押してくれたんですよ。すごく丁寧に。

~高校はどうでしたか
志望校を決めるにあたってあちこちのオープンキャンパスを回ったんです。
でも、義務教育のときとは違い、車いすはちょっと……と言われることばかりでした。
例外はやはりミッション系の高校で、アメリカ人の校長先生がすんなり「車いすOK!」と言ってくださった。
そこに、入学しました。

遠方だったので親の送迎で通学していましたが、学校内では先生やクラスメイトが介助してくれました。
みんな優しかったですね。
高校になるとそれぞれ勉強や部活で忙しかったりして、放課後、親の車で帰ってしまう私は友達を作るのが難しかったんですけど。
初対面で開口一番、「私はバスで帰るんだけど、ちょっと喋りたいから、バス停まで一緒に行こうよ」なんて言って来た子がいて……。
ちょっと変わっていますよね。
怯えながらも友達になりました。
運命の出会いです。

友達というか、仲間というか、介助を手伝ってくれる子はクラスメイト以外にも沢山いました。
文化祭の準備で、美術部が学校に泊まりこんだときは、部の皆が助けてくれたので、親に来てもらうことはありませんでした。

~修学旅行はどうでしたか

行き先は沖縄!
それだけでわくわくしちゃうけど、担任や学年主任の先生を含む、先生3人がその高揚感を吹き飛ばしました。
熱が出て学校を早退していたその日、突然電話が来て先生方が家へ来ることになったんです。
修学旅行の話をしに。
私が席に着くと先生は話し出しました。
介助のことを考え修学旅行では親に同伴してもらいたい旨。親が来ると生徒の空気が盛り下がるので、修学旅行の参加を私に辞退してほしい旨。それでも参加するなら他の生徒と別行動してほしい旨。その際の費用はもちろん自腹である旨。
それって、修学旅行ではなくて、親と旅行してるのとなんら変わらないじゃないですか。
小学生の私なら怒って暴れて抗議していたところですよ。
優等生を決め込んでいる私は、さめざめと泣いたんですけど。
「熱が出て早退したのに、集団で来て、そんなことを言うんですか」
と。
そうしたら、その場が静まり返って、先生方が帰り支度を始めた。
結局は親同伴でしたが、皆と一緒に行けることになりました。
後の卒業の日、改めて担任の先生から謝られたのを覚えています。

~楽しかったですか

うーん、でもやっぱり難しいですよね。
修学旅行ではキャンプファイアーのイベントがあったんですけど、うちのクラスの出し物は皆で踊るソーラン節だったんです。
私は沖縄に行くまで知らなかった。
クラスの子たちが舞台袖で担任の先生と円陣組んでいるところを、気づけば私は舞台の下で見ていました。
「皆で力を合わせて頑張ろう!」「練習の成果を見せつけよう!」
悪気はなかったと思うんですけど。

私はそのとき、他のクラスにいるちょっと捻くれた子たちと仲が良くて、その子たちが沖縄にまでゲームを持ってきたことを、こっそり教えてくれた。
なので人目を忍び、ホテルの一室に籠もってゲームに没頭する彼女たちの蛮勇を、隣で見ていたのが修学旅行中の友達との思い出です。

~大学はどうでしたか
勉強好きだったので、「そんなに履修しないで」と事務課に言われるほど講義を受けていました。
教授に頼み込んで、履修できない講義の聴講までしていたくらいです。
親の送迎はなく、ヘルパーさん同伴で大学には通っていました。
サークル活動は勉強に忙しかったからできませんでしたね。
交友関係で楽しかったのは第2外国語として履修していたインドネシア語のクラス。
履修生の学年はばらばらでしたが、皆が仲良しで先生との距離も近く、一緒に水族館や動物園へ行ったりしました。
学園祭でインドネシア料理のお店を出すことになって、先生のご自宅へ料理を習いに行ったことも。
私はパンフレットと食券作りでも協力できて、楽しかったです。
卒業後もよく会う仲間ですね。

~大学でもお友達はできましたか
はい。どうしてか男友達が多かったです。

~大学院はどうでしたか
小説家の先生に師事し、3年間小説執筆の勉強をしました。
元より執筆活動が好きだったので、就職を目前にして思い残すことのないように、一番学びかったことにひたすら打ち込んだんです。

~どんなものを書いているのですか
ジャンル問わずの長編小説です。
書店に並んだら、よろしくお願いします。

~大学時代は勉強ばかりだったとのことですが、
ほかになにかエピソードとかありますか。

高校くらいからインターネットを始めていて、そこで年齢も出身も違う友達が多くできました。
実際に会うこともありますし、大学の友人を交えて、一緒に遊んだりもしています。

~趣味とかはどうですか
趣味は、色々あります。
小説を読んだり、海外ドラマを見たり、雲の写真を集めたり…。気象学に興味があるので。
音楽も好きです。ジャズとかちょっとマイナーな邦楽とか、洋楽とか。
ライブには頻繁に行きます。

アウトドアな趣味だったら、森林浴が好きです。
雲が好きなので気球に乗るのも気持ちいですね。
富士山の雲は変わっているので見に登ってみたいです。

~いままで旅行したところは?
父の仕事の関係で、海外は中国、韓国、台湾、ベトナム、タイ、シンガポール、インドネシア、に行ったことがあります。
あとは最近、ヘルパーさん同行で香川に行きましたね。
ゼミの合宿で秩父に行ったときは高校のときの友達がついてきてくれました。

~飛行機とか乗り物で苦労されることはありますか

国内では殆どないですね。
ときどきバスに乗車拒否されることくらいでしょうか。
たとえスロープがついていても、入れるスペースがあっても、車いすを見た途端に運転手さんから乗車拒否されるってことが、たまにあります。
ツアーバスは設備的に車いすで乗れないので、端から諦めています。
気軽にツアー参加したいんですけどね。

~旅館ではどうですか

自分で場所を選ぶ場合、事前に下調べをして行くので、困ったことはないです。
自分で選べない場合は、段差で困って担いでもらうこともありますね。

~どんなことを調べるんですか

現地の段差状況とか、リフト付きバスの時刻なんかですね。
段差があったとしても事前に到着時間を伝えておけば、快く手伝ってくださる方が多いです。
特に地方は。

~ひとりぐらしは考えたことありますか

あります。
このままでいいのかしら……、自立してもう少し成長しなくてはと、常日頃から思っています。

~夢はなんですか
舞台の下からひっそりと輪を見つめてるような、そんな人の傍に飛んでいける私になることです。

~~~~~

いかがでしたか。

とても魅力的な女性だと思いませんか?

実はこのインタビュー、半年以上前にとったのですが、

その頃彼女はWeb作成の勉強をしたり、原稿書きの仕事をしたりと忙しく

なかなか掲載原稿まで仕上げる時間がとれませんでした。

その間、頑張ってきた甲斐あって今は「ひまつぶし」で

お仕事されています。

「ひまつぶし」で見かけられたときにはぜひ声をかけてください。

また、彼女たちのつくる新しいひまつぶ誌もよろしくお願いします。

「ひまつぶし」でどんなふうにお仕事されているかもぜひお伝えしたいので

近いうちにまたインタビュー記事を掲載したいと思います。

お楽しみに。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする