いろぷろブルー:小林哲也さん

こんにちは、レッドです。
今回は、いろぷろ戦隊ブルー、小林哲也さんのインタビューです。
ブルーは、このサイトをつくるとき
「行動」に移させてくれた人物です。
とても積極的に外に出て、
人とのつながりを広げています。

そんなブルーが、いまのブルーをどうやって築いてきたかを
お聞きしてきました。

~プロフィールをおしえてください。

1982年5月12日、神奈川県座間の生まれです。
相模原市のつくしの幼稚園に通っていました。
年長の時に町田に引っ越し、
大蔵小学校、鶴川中学校と
普通のクラスに通いました。
その後町田養護学校(現:町田の丘学園)高等部に行き、
一浪して和光大学に入学しました。
卒業後一年間研究生として大学に残り
在宅勤務につき、現在に至ります。
今年から、大学院生となり、日本史の勉強をしています。

脳性まひで右手と両足がほとんど使えません。
左指1本でパソコンを使うことはできますが、
字は書けないです。

幕末の歴史が好きで、
明治維新史学会、東京龍馬会の会員です。

昨年、「龍馬を語ろう 維新雑記」というブログをこーひいぶれいく~維新雑記、ブログ本書き、
多くの人が訪れてくれました。
このブログは本にもなりました。

今年の8月、歴史通に対談が載り、
歴史研究の成果が少しずつ表れつつあるかなと思っています。

~現在の生活について少しおしえてください。

平日は9時から17時まで、在宅勤務をしています。
休日は、龍馬会に出たり、よく出歩きます。
外出が好きです。
仕事のほか、院の勉強や古文書の講座にも参加していて現在は多忙です。

親と同居ですが、ヘルパーさんは週2回のお風呂と
母の外出時、週1回の見守りのほか、
講座の行き帰りの介助で利用しています。

~幼稚園のときのことで覚えていることはありますか。
あまり記憶がないです。
 (…お母さんより
  知り合いのつてで入園したんです。
  特に問題もなく、普通の幼稚園生活でしたよ。)
ひとつだけ覚えているのが、
お泊り会のとき、先生って起きてなくてはいけないじゃないですか。
それで、ヒマだったからなのか5分おきに起こされて
寝られなかった、ということです。
きっと、可愛がってもらってたんですね。

~小学校はどうでしたか
普通に通っていました。
介助員がひとりついていました。
送り迎えは母親で、母親が学校にいることは多かったです。
そのせいか母親もクラスのみんなとうちとけていて、
今でも親しく母親と話したりしています。

やりたいことはなんでもやらせてもらえました。
みんなと一緒に学校生活を送っていました。
別行動になることはあったんですが
きちんと説明があって納得したうえでのことだったので
気にならなかったです。

記憶にあるのは、組体操に参加したことです。
どんな形だったかはよく覚えてないんですが
ほたるが飛び立つのを表現した組体操だったと思います。

修学旅行はみんなと一緒に参加しました。
日光だったんですが、
長い階段を介助員さんとほかの学年の先生とのおんぶリレーでのぼり
みんなと一緒に見学しました。

卒業のときに先生から
「てっちゃんがいたおかげでクラスがまとまりました」
と、言っていただき、涙がでてきたのを覚えています。

~中学ではどうでしたか
中学も小学校と変わらず、ごく普通に通っていました。

介助の先生が事故にあって来られなくなったときは
学校総出で僕の介助をしてくれました。
教頭先生が鞄を持ち、数学の先生が送ってくれて
忘れ物をしたときは理科の先生が助けてくれるとか、
かわるがわるいろいろな先生がきてくれました。

修学旅行は京都でした。
父親が付き添いましたが、
学校側とよく話し合ったうえで、
僕にとっていちばんいい方法を選んだ結果です。
父は別のホテルに泊まっていて
必要なところだけ援助してくれました。
たとえば、別コースをとって
合流するためにタクシーで追いかけるとか。

学校も、僕が龍馬を好きなことをわかっていたので
龍馬関連のところをまわるコースも下見してきてくれていて、
みんなと一緒にまわるコースと龍馬コース
どっちでもいいよと言ってくれました。

小学校も中学校もとても楽しかったです。

~高校はどうでしたか
ちょっとショックを受けました。
小、中と普通のクラスでみんなと一緒に勉強してきたので
ちょっとギャップが大きくて。
コミュニケーションをとるのが難しい人が多かったので
友達がいないというのも辛かったです。
大学受験をしたかったのですが、
そういうことを考える人が珍しかったので
環境的にもいろいろ難しかったです。

~大学はどうでしたか。
高校の勉強では足りなくて、
一浪の期間は猛勉強で大変でした。
ほとんど睡眠もとらず、代ゼミとふたりの家庭教師の指導のもとで
基礎から勉強しました。
血を吐くような苦しさでした。
人生でいちばん勉強した一年間です。
受験も大変でした。
僕は字がかけないので、母が大学と交渉して
ワープロで時間も少し長くとってもらうなどの配慮をしてもらって
受験しました。
中には事前に了解を得ていたはずのワープロ使用が
当日になってダメだといわれテンションが下がるということもありました。

いくつかの学校に合格しましたが、
自宅から近く、通いやすい和光大学を選びました。

送迎は親にしてもらいましたが、
校内での介助はすべて周りの先生や友達に頼んで通いました。
当時ヘルパーの存在もよく知らなかったんですよ。
あったんですかね?当時、ヘルパーって。
登校初日はトイレ介助を頼むの緊張しましたよ。
でも、「手伝いますよ」と言ってくれる人がいて。
先生に頼むことが多かったかな。

勉強が大変でした。
字が書けないので。
友達のノートを借りるっていう方法もあったんですが
人の字ってなんか読めないじゃないですか。
ワープロ持ち込むっていうのも大変で
アンダーラインとかもうまくひけないんですよね。
だから、キーワードを暗記して、
あとは教科書を読んで覚えるというか。
でも、真面目に勉強していたので、
わかってくれる先生もいて、
試験はそれなりに配慮してもらいました。

僕、英検2級を持っているんですよ。
マークシートはうまく塗りつぶせないので
問題用紙に○をつけて、
その答えを転記してもらうという方法でとりました。

大学時代は、友達と映画を見に行ったり
お好み焼きを食べに行ったりと、
電車に乗って遊びにいくこともありました。
よく友達に誘われるので、
結構いろいろなところへいきましたよ。
森美術館(六本木)にも行きました。

友人と友人のお父さんと一緒に能登の永平寺に行ったこともあります。

~卒業後はどうですか

卒業後は1年間研究員として大学に残りましたが
その後縁あって仕事がみつかり、
現在まで在宅勤務をしています。

卒業後に、朝日カルチャースクールというところで
明治維新関係の講座を受け、
そこで知り合った先生とのご縁で
明治維新史学会の会員になりました。

~明治維新史学会って何をしているんですか
大学教授など、歴史研究の第一人者がつくっている会です。
研究発表などしています。

その先生が僕に言ってくれたのが
「小林君は今後歴史界で有名になっていくんだろうけれど
そのときのために文章をかきためておきなさい」
という言葉だったんです。
それがきっと今につながってるんですね。

~東京龍馬会ってどんなことをしているんですか
講演会とか史跡探訪とかですね。
龍馬を好きになったのは1992年11月17日で
龍馬会にはいったのが
をしたのが1993年11月18日です。
龍馬が亡くなったのが11月15日なんですが
何か意味があるんですかね(笑)

~歴史に興味をもったきっかけはなんですか
小学校の時に父につれられて福島にある
會津藩校日新館というところに行ったんです。
そのときに、白虎隊の蝋人形があって。
「なんで人は死ぬんだろう」と思ったことが
歴史に興味を持ったきっかけなのかな。
「おーい龍馬」というアニメを観てて
龍馬ってアニメのキャラクターだと思ってたんですが
歴史の人物ってことがわかって、
調べていくうち白虎隊と同じ頃だということがわかって龍馬が好きになったんです。
小学校の先生に龍馬が好きだったら高知に行けと言われ
高知に行ったのが5年生のとき。
坂本龍馬記念館というところに行って、
当時の館長さんと親しくなりました。
それから高校卒業するまで10年間毎年高知に行っていました。

~歴史以外に興味を持っていることはなんですか
関連していますが、博物館めぐりと書店めぐりです。
関係ないところでは、コーヒーとかヒーローものの特撮とか。
卒論は幕末の歴史もので薩摩のことを書いたのですが
スーパー戦隊の特撮についてと
どちらにしようか迷ったんです。
特撮について書いていたら今の僕はなかったですね(笑)

僕は人が好きなんですよね。
いろんな人に出会うことでいろいろな展開があるんです。

~これからのこと、夢についておしえてください

今勉強している歴史のことを本にしたいです。
形に残したいと思います。
デジタルではなく、紙の本で残したいなと思います。

僕もちょっとしたきっかけで、
いろいろな人とつながって
縁があって、歴史の分野で道が開けてきています。

これからも人とのつながりを大切にして
がんばっていきたいです。

~~~

いかがでしたか。
インタビューはここまでです。

2時間を超える話の中でレッドの心に残ったのは
「人が好き」
というブルーの言葉でした。

人のことばがきっかけになり、人が縁を運んでくる。
そんな中で少しずつ自分の能力を開花させていっているブルーを
本当に素晴らしいと思いました。

そんな超多忙なブルーなので、
なかなかいろぷろじぇくとの記事にまでは手がまわらないのですが
近いうちに面白い企画で登場する予定です。


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