村上健一さん②

こんにちは。イエローです。

前回に引き続き、村上さんのインタビューをお届けします。

村上さんは和光大学を介助者なしで卒業しました。 トイレ介助が必要な村上さんが介助者なしでどうやって卒業したのか・・・。

今回は、シャイな村上さんが少しの勇気で変わっていく 大学生活編です。

~どのような大学生活でしたか?

初めのころは母親が1日に2回、

時間を決めてトイレ介助のため大学まで来てくれていました。

待ち合わせ場所は図書館です。

あるとき、我慢できず 体を揺らし

とてもつらい状態で母親を待っていたんですが

たまたま近くにいた、体格の良い人にトイレ介助を頼んでみたんです。

その人は快く引き受けてくれたんですが

はじめてだったんでしょうから どうするかわかりませんよね。

ふだん介助してもらうときは便器に寄り掛かるように立たせてもらい、

最小限服をずらしてもらうような感じなんですけど、

「便器によりかからせてもらえますか」 とお願いすると、

その後 ズボンもパンツもひざまでおろしてくれて、

僕はおしりまるだしで用を足したんです。

恥ずかしいなと思いながらも、 用がたせたという満足感にひたりながら思ったんです。

「あれっ、これでいいなら僕、他人にでもトイレ介助頼んでもいいんじゃないかな? 」と。

介助の方法を知らない人には もっと細かくお願いすれば良いんじゃないかって。

その頃って、母親と一緒にいることにも抵抗がある年頃だったりするじゃないですか。

そんなこともあって、周りの人に頼んでみることにしたんです。

当時は3階の教室での授業も多かったんですが、

エレベーターが完備されていなかったので 車いすで移動するのも大変だったんですが、

周りの人に声をかけて4人くらいの男性に「おみこし」してもらい階段で移動していました。

断られることもありましたが、手伝ってくれる人もいっぱいいて。

最初は手伝うのを戸惑っていた人たちも 僕がそんなふうに持ち上げられていくのを見て やり方がわかって、

手伝ってくれるようになったりもしたんです。

頼み方もいろいろあって(笑)

彼女と一緒にいたりするちょっと体格のいい男の子なんかは 女の子にカッコつけたいっていうのもあるのかな。

結構断らないでやってくれたりするんですよね。

まあ、だんだんと僕もうまく頼めるようになってきたし 周りも協力してくれるようになりました。

大学では芝居のサークルに所属しました。

初めての合宿の時、

いままで修学旅行とかどうしていたのかと聞かれたので

「父親同伴で」という話をしたところ、

じゃあそれでいいんじゃないかという話になってたんですが、

その時の部長が自分たちでなんとかしようって言ってくれたんですよね。

それでひとりで参加しました。

場所は静岡方面の 大学のセミナーハウス。

夜のイベント、「きもだめし」では、

ほそーいつり橋を通ってその先の恐怖スポットに行くんですが、

車いすの通れない、狭いつり橋を前に、友人のひとりが「まかしておけ」ということで、

その友人におぶってもらって渡ることになりました。

揺れる長いつり橋を軽くはない僕ををおぶってわたっていた友人が、

途中 何度も「ごめん、村上、だめかも」と言うんですよね。

そのたびにつり橋がゆらゆらと揺れるんです。

怖かったですよ~。

なんとか見事に渡り切り、その先にある恐怖スポットに到着し、

帰りは 2~3名の友達のおんぶリレーで 無事に帰ることができました。

恐怖スポットでの「きもだめし」がメインだったのに、

つり橋を渡るのがいちばんの「きもだめし」だった、という思い出です。

サークルの飲み会にもよく参加しましたよ。

僕が参加しやすいように、場所とかも考えてくれて。

当時の芝居の聖地、下北沢に行くことが多かったんですが、

その頃は大学最寄の駅(鶴川)には、エレベーターがなく、

下り方面の臨時改札から段差なしでホームに行けたんですが、

上り方面に行くには階段を使わないといけなかったんです。

友人たちが「おみこし」で 持ち上げてくれるんですが、

駅員には「危ないからやめてください」と注意されるんです。

友人が「大丈夫、これ荷物ですから」なんていってくれて そのまま上げてもらうこともありましたけど

仕方なく反対方面の電車に乗り 町田駅のエスカレーターを利用して 下北沢に行く、

という遠回りをせざるを得ないこともあって・・・。

そうすると、僕と、一緒に行く友人は サークルの他のメンバーより30分遅れちゃうんですよね。

友人に、悪いなぁと・・・。

~わざわざ別の駅にまわらないといけなかったんですか?

今ではどこの駅にもエレベーターがついていますから、

ちょっとびっくりするかもしれないですけど、

鶴川駅は急行が止まらなかったせいか、設備が遅れていたんですよね。

下り方面に臨時改札というのがあって、

そこは階段なしでホームまで行けるんですが

上りには階段を使わないと行けない構造になっていたんです。

急行の止まる、町田駅と新百合ヶ丘駅には

車椅子を水平に保ちながら運べる機能が付いている

エスカレーターがあったんで、

鶴川に上るときは新百合ヶ丘にまわり、

鶴川から上るときは町田にまわる・・・

ということをしないといけなかったんです。

 

~ほかの駅に設備があったから、

それを使えっていうことになるんですね。

そうなんですよ。

どこにも設備がなければ、人があげるしかないんですけど、

少し不自由でもまわれば設備があるとなると

そこを使えってことになっちゃう。

~人がちょっと手伝えば早いってことも多いと思いますが、、

安全優先なんでしょうね。なんか考えさせられますね…。

はい、それでくやしい思いをしたこともあります。

まぁ、そんなこともありましたが、夜遅くまで飲み歩くなど、 バカさわぎもし、

大学生活をめいっぱい楽しみました。

~人に会ったり外に出たりすることって大切ですよね。

出歩くのもなかなか大変だと思いますが・・・

そうですね。僕も子どもの頃は、

家の中でひとりでゲームをする というようなことが多かったんですが

大学からは変わってきましたね。

友達と外出するようになり、人とかかわることによって

いろいろなことに誘ってもらえることが多くなったり、

困ったことがあっても誰かが知恵をだしてくれたり。

また、友人から提案されたことを「やってみよう」 と、

断らないで挑戦してきたことも良かったかもしれないですね。

沖縄で劇団の解散公演をしたときの写真。
浜辺の茶屋というところで、断崖絶壁を降りなければ到達できないところへ
座長を務める後輩の命がけのおんぶの末、たどり着いた一枚。
(村上さんは中央)

そしてそこからの景色

そしてそこで村上さんが撮った写真

続く・・・

今回はここまで。

いかがでしたか。 すごく楽しそうな大学生活ですよね。

村上さんもはじめから人に介助を頼めたわけではないんですね。

ちょっとの勇気で周りも変わるというのも素敵です。

ということで 今回はここまでです。

次回は村上さんのひとり暮らしについてのお話をご紹介したいと思います。


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