赤い屋根・小野浩さん①

今回は、赤い屋根の施設長、小野浩さんへのインタビューです。
小野さんは、きょうされんの役員もされていて、
福祉の法律関係、データにはとても詳しい方です。
とてもとても忙しい小野さんなのですが、
わたしたちのために貴重な時間をとってくださいました。

インタビューは2012年10月4日、赤い屋根において
レッドとイエロー、ふたりでお話を伺いました。

赤い屋根でお豆腐を売っていることを知っている方は多いと思います。
でも、なぜお豆腐なのでしょうか。
お豆腐の製造販売を仕事にしている赤い屋根のとりくみと考え方。
しっかりとしたマーケティングリサーチのうえに成り立っている
というところもお聞きすることができました。

それでは、インタビューのスタートです。

~簡単なプロフィールをおしえてください。

1962年12月4日生まれです。
生まれた時は登戸に住んでいて、3歳から町田で育ちました。
市立では第一号の金森保育園の初代卒園生で、南3小、南中、忠生高校を卒業しました。
その後、日本福祉大学を卒業し、
きょうされん(旧共同作業所連絡会)事務局に就職しました。
1999年に、第2あじさい共同作業所の立上げ準備を機に
町田に戻りました。
2001年には、あじさい作業所、赤い屋根、あらぐさ作業所で
社会福祉法人ウィズ町田を設立し、
2003年、赤い屋根に異動しました。

~小野さんが赤い屋根の施設長になってから、
ずいぶん変わったような気がするのですが、
どんなビジョンを持って変えてきたのでしょうか。

赤い屋根のカラーは利用者さんが醸し出しているので、
僕が来たから変わったということはないです。
変わった点では、以前の赤い屋根は仕事をするというより、
作業訓練的な意味合いが強かったんですね。

その当時は、廃油石鹸、木工、紙すき、下請けの仕事をしていたんですが、
どれも中途半端で、それぞれの特技を生かして仕事の力を磨くというより、
まんべんなく作業に参加して週に1回レクレーションをやっていたらしいんです。
僕がきてからは、その仕組みを徐々に変えて、
仕事中心にしようということで
レクレーションを少なくして月1回にし、
現在ではまったくなくしました。
レクレーションは休日に、ここは仕事をする場
というように変えました。
仕事の内容も、とうふをやるようになり、
下請けをやめ、木工をやめ廃油石鹸もやめました。
紙漉きは残っていますが、これもとうふ販売の資材としての仕事です。
保冷剤とか、ラベルとか、割引チケットなんかを作っています。

~今後のビジョンはありますか。

工賃をあげていきたいですね。
僕が異動したときの工賃は、19名の利用者で月に5000円だったんです。
今は工賃は、42名の利用者で月に約15000円~18000円になりました。
日給600円かける出勤日数。
それに皆勤賞とMVP賞、特別賞がプラスされます。
赤い屋根は出勤率がいいので、皆勤賞の人は多いです。
皆勤賞や特別賞は、みんなの達成感になっているようですが、
まだまだ工賃は低い状態が続いています。
なんとか、近いうちに、
3万円に辿りつきたいと思っています(どっかの総理みたいですね)。
労働に対する対価としての賃金であれば、
「生計を維持しうる所得保障」が基本となりますが、
障害のある人の最低賃金保障が義務付けられている
就労継続A型のスワンのように、
最低賃金を保障するところまではなかなか難しいです。
当面の目標としては、年金とあわせて10万を超えるようにしたい。
年金が63000円であれば、工賃が3~4万あれば10万になるので
それくらいまでは持っていきたいというのが今の目標です。

赤い屋根のみなさん

赤い屋根のみなさん。
さて小野さんはどこでしょう??

赤い屋根のホームページ

②へつづく


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